2006年09月26日
たまには、ちょっと飛躍しちゃう話
僕は所属しているテニススクール以外でも貸しコートでレッスンしたりしています。そんな時々借りている中学校のテニスコートの後ろに、最近になって壁打ち施設が作られました。そこのテニス部の学生が練習するためだと思います。
壁打ちといえば僕がテニスを始めた頃にはとても盛んにおこなわれていました。駒沢公園の球技場横の壁打ちがとくに人気で僕もそこで朝から晩まで飽きるほどやりました。そしてそのときにグラウンドストロークの基礎が出来上がったと思います。いまでもロングラリーよりもボレーヤーあいての打ち合いのほうが打ちやすいのは、その頃の壁打ち練習の名残だと思います。
石黒修さんや神和住純さんの教本を頼りにグリップや打ち方を試行錯誤しながら毎日、何時間も壁に向かってボールを打ち続けました。初めはまったく打てなくて何十回やっても2球目の跳ね返ってきたボールを打てなかったバックハンド。でもやがて2回続き、3回続き、4回続きとほんとに牛歩のようでしたがバカのように毎日々、朝から暗くなるまで打ち続けていたらいつの間にかフォアハンドよりも得意なショットになってしまいました。
スクールの生徒さんやテニス関連の掲示板でよくバックハンドが苦手でどうすれば良いですかという質問があります。
どうすれば良いですかって?とにかくひたすら打つしかないでしょう!ほんとに何千球も何万球も打ってみてそれでもダメだったという上での話しならば別ですが、人に聞いてそれで上手くなるほどテニスは簡単では無いと思います。テニスコーチがそんなこと言ってどうするんだ?と言う気もしますが、コーチはテニスが上手くなる魔法や虎の巻を知っているわけではありません。
「何千球も何万球も打っているのに少しだけグリップが違うとか、振り方がどうしても少し違う」という方ならば、時にはたった一言のアドバイスでたちまち打てるようになることもあります。でもまだ大した数も打っていないのに、すぐに人に聞いてなんとかしようとするような人はたとえその場で一時は良くなることもあるかも知れませんが長続きはしないでしょう。
テニスに限らず物事は自分で努力してこそモノになるのだと思います。安易に得たものはすぐに失われます。だからコーチとしては、できるだけ生徒さん自身で考えて努力して身につけられるような練習環境を提供するのが一番の仕事ではないかと考えます。試合に出て戦いながら考えなければいけないのはその本人なのですから、練習で言葉責めするようなことはどうかなと思います。
壁打ちコートに向かって黙々とボールを打ち続ける生徒。そしてそれを黙って見守るコーチ。生徒が一生懸命に試行錯誤しながら打ち続けていながらどうしても上手くいかないとき、そしてそれを放っておくと好ましくない形に向かいそうなとき。そういうときのみ必要最低限ながら的確なアドバイスを与える。それが僕の理想のテニスコーチというものです。
でも理想は理想で、現実とは必ずしも一致しないのが世の常です。だから僕はテニススクールでやたらに大きな声出してしまいます。「○○さーん、もっと速くラケット準備して」とか「○○くん、振り抜きをもっと上に大きくして!」なんて感じで。言わないとテニススクールらしくないと思っちゃうし、生徒さんも「あのコーチは何も言ってくれないし、なんだか無口で暗いわ」ってことになりそうですからね。
どうも最近はテレビの芸人といわれる人々の影響なのか、やたらに賑やかで騒々しいのが主流ですね。貸しコートに来ている大学のサークルの声出しの異常さには、ほとほと迷惑しています。なんだかあれを見ているとタチの悪い宗教団体に近い薄気味悪さを感じます。宗教団体に限らず、人間て上下関係がはっきりした集団に所属すると総じて悪しき一団と化してしまうようです。
より数の多い集団の意見が尊重される民主主義はほんとに最良かつ唯一無二のシステムなのでしょうか?あれっ、なんでこんな話しになったのかな?ほんとに飛躍しすぎた
壁打ちといえば僕がテニスを始めた頃にはとても盛んにおこなわれていました。駒沢公園の球技場横の壁打ちがとくに人気で僕もそこで朝から晩まで飽きるほどやりました。そしてそのときにグラウンドストロークの基礎が出来上がったと思います。いまでもロングラリーよりもボレーヤーあいての打ち合いのほうが打ちやすいのは、その頃の壁打ち練習の名残だと思います。
石黒修さんや神和住純さんの教本を頼りにグリップや打ち方を試行錯誤しながら毎日、何時間も壁に向かってボールを打ち続けました。初めはまったく打てなくて何十回やっても2球目の跳ね返ってきたボールを打てなかったバックハンド。でもやがて2回続き、3回続き、4回続きとほんとに牛歩のようでしたがバカのように毎日々、朝から暗くなるまで打ち続けていたらいつの間にかフォアハンドよりも得意なショットになってしまいました。
スクールの生徒さんやテニス関連の掲示板でよくバックハンドが苦手でどうすれば良いですかという質問があります。
どうすれば良いですかって?とにかくひたすら打つしかないでしょう!ほんとに何千球も何万球も打ってみてそれでもダメだったという上での話しならば別ですが、人に聞いてそれで上手くなるほどテニスは簡単では無いと思います。テニスコーチがそんなこと言ってどうするんだ?と言う気もしますが、コーチはテニスが上手くなる魔法や虎の巻を知っているわけではありません。
「何千球も何万球も打っているのに少しだけグリップが違うとか、振り方がどうしても少し違う」という方ならば、時にはたった一言のアドバイスでたちまち打てるようになることもあります。でもまだ大した数も打っていないのに、すぐに人に聞いてなんとかしようとするような人はたとえその場で一時は良くなることもあるかも知れませんが長続きはしないでしょう。
テニスに限らず物事は自分で努力してこそモノになるのだと思います。安易に得たものはすぐに失われます。だからコーチとしては、できるだけ生徒さん自身で考えて努力して身につけられるような練習環境を提供するのが一番の仕事ではないかと考えます。試合に出て戦いながら考えなければいけないのはその本人なのですから、練習で言葉責めするようなことはどうかなと思います。
壁打ちコートに向かって黙々とボールを打ち続ける生徒。そしてそれを黙って見守るコーチ。生徒が一生懸命に試行錯誤しながら打ち続けていながらどうしても上手くいかないとき、そしてそれを放っておくと好ましくない形に向かいそうなとき。そういうときのみ必要最低限ながら的確なアドバイスを与える。それが僕の理想のテニスコーチというものです。
でも理想は理想で、現実とは必ずしも一致しないのが世の常です。だから僕はテニススクールでやたらに大きな声出してしまいます。「○○さーん、もっと速くラケット準備して」とか「○○くん、振り抜きをもっと上に大きくして!」なんて感じで。言わないとテニススクールらしくないと思っちゃうし、生徒さんも「あのコーチは何も言ってくれないし、なんだか無口で暗いわ」ってことになりそうですからね。
どうも最近はテレビの芸人といわれる人々の影響なのか、やたらに賑やかで騒々しいのが主流ですね。貸しコートに来ている大学のサークルの声出しの異常さには、ほとほと迷惑しています。なんだかあれを見ているとタチの悪い宗教団体に近い薄気味悪さを感じます。宗教団体に限らず、人間て上下関係がはっきりした集団に所属すると総じて悪しき一団と化してしまうようです。
より数の多い集団の意見が尊重される民主主義はほんとに最良かつ唯一無二のシステムなのでしょうか?あれっ、なんでこんな話しになったのかな?ほんとに飛躍しすぎた
